NEWS お知らせ
教育
高嶺徳明顕彰碑のフィールドワーク
5月4日、中琉関係史概論Ⅰの講義の一環で、琉球大学病院に移設された高嶺徳明顕彰碑を見に行きました。座学で久米村について事前に学んでいたこともあり、参加学生は関心をもってかつての勤学(留学生)の足跡をたどりました。
高嶺徳明(魏士哲)は1653年生まれで、中国語の能力を評価されたことで久米村に入り、久米村役人として勤めました。35歳の時に中国・福州へ赴き、口唇裂の手術法を習得します。1689年12月、同年12 月に琉球国王孫の尚益の治療に臨み、成功しました。
現在、この碑は琉大病院図書館入口近く(階段降りて右手奥)に移設されています。石碑は表も裏も見ることが大事ということがよく分かったとの声がありました。
★学生の声★
今日の授業は医学部キャンパスに出向いて高嶺徳明(魏士哲)の顕彰碑を見に行った。 かつて、「日本で世界初の全身麻酔手術が行われたが、それよりも前に琉球で麻酔手術を行った人物がいる」という話を聞いた事があったが、ライト兄弟よりも前に有人飛行を成し遂げた「飛び安里」のような伝承レベルの話だと思っていたので、福州琉球館の展示物や『魏氏家譜』などに記載されていることを知り、非常に驚いた。 また、それほどの偉業を成した人物だからこそ顕彰碑が建立されたのだと納得がいった。(1年次)
高嶺徳明の功績を広めるために大学として、医学部または千原キャンパスの図書館で高嶺徳明の特集コーナーを作ることを広報活動の1つとして提案したい。具体的には、高嶺徳明さんの等身大パネルを設置し、学生の注目を集め、どのような業績を残した人物であるのかに関する簡単なクイズを展示することが挙げられる。 (2年次)

