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識名園のフィールドワークを行いました(中琉関係史概論Ⅰ)

7月30日午前、中琉関係史概論Ⅰの講義の一環で、識名園のフィールドワークを行いました。

今回は那覇市文化財課職員の鈴木悠さんの案内で、琉球王国時代の庭造りの意匠や識名園での外国人歓待の様子、復元の定義等さまざまなことをお聞きしました。識名園には1800年に尚温王の冊冊封の為に来琉した正使・趙文揩と副使・李鼎元も訪れています。

当日は台風接近の直前ということもあって天候が心配されましたが、雨に降られることもなく2時間半楽しみながら勉強することができました。

学生の感想を少し紹介します。

・識名園は琉球王国の外交において非常に大きな役割を果たしていた。例えば道を造るにしても景観に目まぐるしい変化を与えるための工夫がなされており、見る者を飽きさせず、それどころか衝撃さえ与えていたことが分かった。

・私は今回初めて識名園を訪れたのですが、まず驚いたのは景観が首里城や琉球のイメージとは反対に落ち着いた雰囲気であったことです。日本の銀閣寺や枯山水といった侘びさびの雰囲気に中国風の六角堂や橋があって琉球らしさが感じられる素晴らしい遺跡だと感じました

・橋が中華風なので六角堂も王国時代に建立されていたと思っていましたが大正時代のものだと聞いて驚きました。よくよく見てみると説明通り瓦は下地の赤色が見えていましたし、巴の紋が入っていました。これも復元するときに赤瓦を黒く塗るという工程がよくわかりましたし、昭和16年時の調査資料から対応する植木の種類と位置まで、中島にいたっては樹木の伸び方まで再現しようとする思いにとても驚きました。一方で御殿の欄間は史料が少ないことからあえて復元しないことにより憶測で建てることをさける姿勢を見ました。どちらも文化財復元の、ある時点の状態にするという規定を守るためだということがよくわかりました。 

鈴木先生、丁寧な解説をありがとうございました。

冊封使たちも見たであろう景色を、床の間から見せていただきました。